福岡高等裁判所 平成8年(ネ)582号 判決 1996年10月17日
控訴人(附帯被控訴人)
佐世保産業株式会社
右代表者代表取締役
大久保仰
控訴人(附帯被控訴人)
大久保仰
同
大久保ひろ子
右三名訴訟代理人弁護士
斎藤信隆
同
斎藤哲人
被控訴人(附帯控訴人)
久保悟
右訴訟代理人弁護士
髙尾實
同
山元昭則
主文
原判決を取り消す。
被控訴人の主位的請求をいずれも棄却する。
被控訴人の当審における予備的請求のうち寄託金返還請求にかかる訴えを却下する。
被控訴人の当審における予備的請求のうち取締役報酬請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実及び理由
第一 申立
一 控訴人ら
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人の主位的請求をいずれも棄却する。
3 被控訴人の当審における予備的請求をいずれも棄却する。
4 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
二 被控訴人
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。
3 被控訴人は、附帯控訴により、後記①、②の各(ロ)の予備的請求を追加した。
第二 事案の概要
本件は、被控訴人が、①控訴人会社に対し、(イ)主位的に貸金返還請求権、(ロ)予備的に寄託金返還請求権に基づき、一〇〇万円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日(平成六年九月一〇日)から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求め、②控訴人ら全員に対し、(イ)主位的に不法行為に基づく損害賠償、(ロ)予備的に(控訴人会社に対してのみの予備的請求)取締役の報酬として、一五〇万円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日(控訴人会社につき平成六年九月一〇日、その余の控訴人につき同月一一日)から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を連帯して支払うことを求めた事案である。
一 背景事実
(乙イ第一ないし第三号証、第五、第七、第九、第一〇、第一二号証、第一三号証の一ないし三、原審証人吉木和之及び同田﨑豊の各証言、原審における控訴人仰本人尋問(控訴人会社代表者尋問を兼ねる。以下同じ。)の結果、原審における被控訴人本人尋問の結果、弁論の全趣旨)
1 控訴人会社は、電気工事等を業とし、昭和三三年八月一二日に設立された。被控訴人は、同社の株主であり、かつ代表取締役であった。
2 被控訴人は、平成二年七月一日、控訴人仰に対し、控訴人会社の全株式を売却して、同社の経営権一切を譲り渡し、控訴人仰は、被控訴人に対し、右購入代金として一五〇〇万円を支払った(以下、右株式売却を「本件株式譲渡」という。)。同日、控訴人仰は、被控訴人を引き続き代表取締役に在任させたまま、自らも同社の代表取締役に就任し、その妻である控訴人ひろ子も同社の取締役に就任した。
3 被控訴人は、取締役報酬として、従来、月額四五万円を受給していたが、平成二年七月分からは減額され、同年一二月まで月額一五万円を、平成三年一月からは月額九万四〇〇〇円を受給していた。
4 被控訴人は、平成四年九月三〇日、控訴人会社の取締役を辞任した。
5 被控訴人は、平成五年四月ころ、控訴人会社を被告として、長崎地方裁判所佐世保支部に退職金等の支払を求める訴え(平成五年(ワ)第六四号退職慰労金等請求事件)を提起した。その結果、同年五月二〇日、控訴人会社が被控訴人に対し一〇〇万円を支払うなどして、訴訟外の和解が成立した。そして同年七月二三日、被控訴人と控訴人仰は、税理士事務所職員吉木和之(以下「吉木」という。)を関係者ということで加えて、「覚書」と題する書面を作成したが、これに記載されている本文の枢要部分は、「佐世保産業株式会社の営業外一切の営利を供ふ譲渡については公、私人に亘って全てを円満に解決し爾後、譲渡人譲受人及び関係者三者共に金銭の請求等々を行ふ事の無い事を確認し、和解した。」というものである。(以下、右の五月二〇日の和解及び書面による合意を「本件示談」という。)
二 当事者の主張
1 請求原因
(一) ①の請求原因
(主位的請求の原因)
(1) 被控訴人は、平成元年末ころ、控訴人会社に対し、同社の運転資金として一〇〇万円を貸し渡した(以下「本件貸付」という。)。
(予備的請求の原因)
(2) 被控訴人は、平成二年七月二日、控訴人会社に、一〇〇万円を寄託した(以下「本件寄託」という。)。
(二) ②の請求原因
(主位的請求の原因)
(1) 被控訴人の控訴人会社における取締役報酬は月額四五万円であったところ、控訴人ひろ子は、平成二年七月から同年一二月までの取締役報酬のうち、被控訴人には月額一五万円しか支払わず、残金三〇万円の六か月分である一八〇万円を着服した。平成三年三月ころ、控訴人会社は被控訴人に対し右着服金のうち三〇万円を支払った。したがって、控訴人ひろ子は行為者として、控訴人会社は使用者として、控訴人仰は代理監督者として、いずれも、不法行為に基づき、右残金一五〇万円を被控訴人に賠償する義務がある。
(予備的請求の原因)
(2) 被控訴人は、控訴人会社に対し、右一五〇万円の役員報酬請求権を有する。
2 抗弁
(一) 請求原因(一)の(2)に対する抗弁
控訴人会社は、平成四年一〇月ころ、被控訴人に対し、本件寄託金一〇〇万円を返還した。
(二) 請求原因(二)の(1)、(2)に対する抗弁
本件株式譲渡に際して、被控訴人は、控訴人会社との間で、取締役報酬を月額四五万円から月額一五万円に減額することを合意した(以下、右取締役報酬の減額「本件報酬減額」という。)。
(三) 請求原因(一)、(二)の各(1)、(2)に対する抗弁
被控訴人と被控訴人会社及び控訴人仰との間には、本件示談が成立しており、本件株式譲渡に関する紛争は一切解決済みである。
3 再抗弁
抗弁(二)に対する再抗弁
本件報酬減額を被控訴人が承諾したのは、控訴人らから、本件株式譲渡前に計理士の不都合があって、その穴埋めをする必要があるという虚偽の事実を告げられ、その旨誤信したからであって、本件報酬減額の合意は錯誤により無効である。
第三 証拠
原審記録中の証拠関係目録に記載のとおりであるから、これを引用する。
第四 当裁判所の判断
一 ①の請求について
1 本件貸付((イ)の請求)
(一) 被控訴人は、本件貸付を証するものとして、甲第一号証(財産目録)を提出し、原審本人尋問において、平成元年末ころ本件貸付をしたという趣旨の供述をするので、以下、検討する。
(二) 証拠(甲第一号証、乙イ第一四号証の一、二、第一五ないし第一七号証の各一ないし三、原審証人吉木和之の証言、原審における控訴人仰本人尋問の結果)によれば、以下の事実が認められる。
(1) 甲第一号証の財産目録は、本件株式譲渡にあたり、控訴人仰から依頼されて、吉木が平成二年六月三〇日現在における控訴人会社の資産と負債を記載したものであって、その短期借入金の科目欄には、被控訴人からの借入金一〇〇万円が計上されている。しかし、控訴人会社の総勘定元帳及び決算報告書(乙イ第一四号証の一、二、第一五ないし第一七号証の各一ないし三)にはこれに照応する記載はない。
(2) 一方、控訴人会社の第三一期(平成元年八月一日から平成二年七月三一日まで)総勘定元帳(乙イ第一六の一ないし三)には、平成二年五月二一日に控訴人仰から一〇〇万円を借り入れ、同年七月一六日にこれを返済した旨の記載がある。
(3) 右(2)の会計処理は、本件株式譲渡の手続が進行していた平成二年五月ころ、被控訴人から趣旨不明の一〇〇万円が払い込まれて、その会計処理に困り、現実には控訴人会社と控訴人仰との間に貸借関係はなかったが、右一〇〇万円を帳簿に計上するためにとられた措置であって、前記1の財産目録にある被控訴人からの借入金は右の一〇〇円を記載したものである。その後、控訴人仰は、平成四年一二月ころ被控訴人に対し、右一〇〇万円を返済した。
(三) 右認定のとおり、甲第一号証の財産目録に計上された被控訴人からの借入金一〇〇万円は平成二年五月ころの払込金であって、同号証が本件貸付を証するものといえないことは明らかである。また、被控訴人は前記のとおり本件貸付があったことを供述するが、右供述部分はあいまいである上、右認定のとおり控訴人会社の会計帳簿にはその記載がないことに照らすと、被控訴人の右供述部分は採用することができない。そして、他に本件貸付を認めるに足りる証拠はなく、被控訴人の①の(イ)の請求は理由がない。
2 本件寄託((ロ)の請求)
被控訴人は、予備的に、平成二年七月二日の寄託契約に基づく寄託金返還請求の申立をしている(前記のとおり、被控訴人からは平成二年五月ころ趣旨不明の一〇〇万円が控訴人会社に払い込まれた事実が認められるのであるが、被控訴人主張の本件寄託とは時期を異にするので、右の一〇〇万円とは別個の寄託を主張しているものと解さざるをえない。)。
しかし、①の(イ)の請求と(ロ)の請求とは論理上両立しうる請求であって、単純併合による審判申立ができるものである。そして、申立は、原則として確定的になされることを要し、条件や期限を付しえないのを原則とし、例外的に、合理的な理由があって、手続上格別の支障もない場合にのみ、申立に条件や期限を付しうるものと解される。ところが、①の(ロ)の請求については、①の(イ)の請求の認容を解除条件とする予備的併合をとる合理的な実益ないし必要性に乏しく、訴訟を不安定なものとする弊害もあるから、これを許すべきではないと解する。したがって、①の(ロ)の請求にかかる訴えは不適法として却下を免れない。(被控訴人の右申立は、予備的請求と表示されているものの、その趣旨は、第一次請求の認容を解除条件として第二次請求を申し立てる併合ではなく、併合した二つの請求の一つが認容されることを解除条件とする審判の申立すなわち、不真正予備的併合とも呼称される、選択的併合で、ただ審判の対象に順位を付して申し立てるというにあると解されないではない。しかし、被控訴人が金員交付の時期を明確に区別して主張していること及び当審における平成八年五月二八日付準備書面で、「もし、控訴人主張の様に貸金については全て返済済みというのであれば、右一〇〇万円の交付は貸金の返済であって、寄託金の返還分ではないから寄託金は未返還となる。」と主張していることなどからすると、被控訴人は、特定の時期ないし限定された期間内における被控訴人から控訴人会社への返還約束を伴った一〇〇万円の交付が一回であることを前提にして、消費貸借契約または寄託契約のいずれかに基づく返還請求、すなわち、目的が同一で論理的に両立できる請求の併合を申し立てているのではなく、請求の原因となる金員授受の事実が複数であることを前提に、貸金債権が弁済によって消滅したと認められる場合を慮って寄託金返還請求を追加する趣旨とみるほかないから、①の(イ)と(ロ)の各請求は真正な予備的併合の関係にあるといわざるをえない。)
なお、念のため、被控訴人の右寄託契約についての証拠の有無を検討しておくと、原審における被控訴人本人尋問の結果中には、本件寄託がなされた旨の供述があるが、これを裏付ける証拠はなく、右供述だけでは本件寄託を認めることはできない。
二 ②の請求について
1 前記第二の一、2の事実と、証拠(乙イ第五、第八、第九号証、原審における控訴人仰本人尋問の結果)及び弁論の全趣旨によれば、本件株式譲渡の手続が進行していた平成二年六月一日、被控訴人と控訴人仰との間で、本件株式譲渡後、被控訴人の取締役報酬を月額四五万円から月額一五万円に減額することが合意され、右合意を前提にして、同年七月一日、控訴人会社の経営権が控訴人仰に移され、同人が代表取締役に就任したことが認められる。右事実によると、平成二年七月一日、被控訴人と控訴人会社との間で、本件報酬減額の合意がなされたものと認められる。
2 被控訴人は、控訴人らから、本件株式譲渡前に計理士の不都合があって、その穴埋めをする必要があるという虚偽の事実を告げられ、その旨誤信して本件報酬減額を承諾したと主張し、原審本人尋問において、これに沿う供述をする。
しかし、本件株式譲渡によって控訴人会社の経営権は控訴人仰に移り、被控訴人は、名目上代表取締役の地位にとどまっただけで、三年後には取締役を辞任することが合意されていたのであるから(乙イ第八、第九号証)、本件株式譲渡を契機として、取締役報酬の減額が合意されることは自然な成り行きと考えられる。被控訴人に減額した取締役報酬が支給されるようになった後も、控訴人会社では会計処理上従前の報酬額四五万円を計上し、被控訴人もこのことを承知していたが、被控訴人は右のような会計処理には全く関心を示していなかった(乙イ第五、第一二号証、第一三号証の一、原審証人吉木和之の証言、原審における控訴人仰本人尋問の結果)。被控訴人は取締役報酬として平成三年一月から平成四年七月までの一九か月間は減額されて月額九万四〇〇〇円を支給され、次いで、同年八月と九月の二か月間は増額されて月額二四万円を支給されたところ、被控訴人は、平成四年九月ころ、一五万円と九万四〇〇〇円との差額五万六〇〇〇円の一九か月分である一〇六万四〇〇〇円の支払を要求し、同年一二月ころ、控訴人仰から、右一〇六万四〇〇〇円から、二四万円と一五万円との差額九万円の二か月分である一八万円を差し引いた八八万四〇〇〇円を受領しているが(乙イ第一一号証の一、二、第一三号証の二、三、原審証人吉木和之の証言、原審における控訴人仰本人尋問の結果)、一方、被控訴人は、本件報酬減額にかかる四五万円と一五万円との差額については、平成三年三月ころ、右の報酬額四五万円の計上によって税負担が増えたとしてその補填を要求し、控訴人仰から税負担分として三〇万円を受け取ったのみで(乙イ第五号証、原審証人吉木和之の証言、原審における控訴人仰本人尋問の結果)、本訴提起(平成六年九月六日)に至るまで、右の差額を回収するための積極的な行動に出たという形跡はない。以上の事実によると、控訴人会社の右取締役報酬にかかる会計処理は、本件報酬減額の合意とは何らの関わりもなく、控訴人会社独自の判断でなされたものと推認され、右事実のほか、原審証人吉木和之の証言、原審における控訴人仰本人尋問の結果に照らすと、被控訴人の前記供述部分は採用することができない。
そして、他に本件報酬減額の合意にあたって被控訴人主張の錯誤があったことを認めるに足りる証拠はない。
3 以上によると、本件報酬減額は被控訴人の承諾のもとになされたものであるから、被控訴人主張の差額を支払わなかったことをもって、不法行為を構成する余地がないことはもとより、右差額につき取締役報酬請求権が発生する余地もない。したがって、②の(イ)、(ロ)の各請求はいずれも理由がない。
第五 結論
よって、被控訴人の主位的請求はいずれも失当として棄却すべきであるから、右と異なる原判決を取り消し、被控訴人が附帯控訴により追加した予備的請求のうち、寄託金返還請求にかかる訴えはこれを却下し、取締役報酬請求はこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官秋元隆男 裁判官池谷泉 裁判官川久保政德)